お盆もあけ、終わりゆく夏に一抹の寂しさを覚える毎年8月17日。
この日、江府町が一年に一日だけ、500年前をしのびその当時へとタイムトリップします。
「江尾十七夜」。
何とも昔ながらの懐かしい時間が流れる故郷のお祭りですが、実はこのお祭り、地元で500年受け継がれる歴史があり、そこにはまるで小説の一編を見ているかのようなドラマが・・・。地元に愛され、亡くなった後も思われ続ける城主と地元民との深い絆。
そのストーリを知り、その思いを知り、そしてこの町の歴史を知り、ぜひこのお祭りに隠された時間を思い、このお祭りへと足を運んでみてください。
伯耆(ほうき)の国江美城(えびじょう)は、文明16年(1484年)蜂塚安房守(はちづかあわのかみ)の草創と伝えられ、二代三河の守(みかわのかみ)・三代丹波守(たんばのかみ)・四代右ヱ門尉(うえもんのじょう)と蜂塚氏一門の居城でありました。
初代城主以来代々鉄穴(カンナ)及び鉄山(製鉄)と開田稲作作りの技法を家伝とし、また、この鉄山・稲作地帯を守護する強力な武力集団としても特色ある蜂塚一門でありました。
盂蘭盆十七日の夜には城門を開放し、町民や農民たちを自由に場内出入りを許し、無礼講として盆の供養と豊年を祈る踊りと力くらべの角力で一夜を明かすことを常としていました。
四代城主右ヱ門尉の永禄8年8月6日(1565年)に至り、毛利方三千の大軍を迎え討ち、尼子との信を守って、血戦敢斗の末、蜂塚一門は全員城を枕に討死して果て、四代八十余年の家運つたなく江美城は落城の悲運にその幕を閉じたのでございます。
この十七夜の踊りは、落城の後、毛利の支配下となった城下の住民たちが、蜂塚氏在城の頃を慕い悲しみ、また、毛利の非情に物云う如く、くる年もくる年も盆の十七日の夜を忘れず、城跡の草むらに集い、念仏の心を抱いて踊りを伝えて五百年の歳月が流れております。
この哀しくもゆかしい物語が、今もなお、江尾十七夜として続いているのでございます。この、こだいぢ踊りは、歴史とともに無形文化財として指定を受け、保存会も結成され保存伝承につとめている処であります。
お祭りにメインであり、500年の歴史のシンボルでもある「江尾のこだいぢ踊り」。
昭和49年10月18日には、鳥取県指定無形民俗文化財にも指定されたこの舞いには、亡き城主をしのぶ、地元民からの感謝、そして供養の思いが込められているのです。
江尾十七夜では、一日を通じ、町内で様々な催しが行われています。